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橘寺

昨日、たけしさんの番組で『“教科書に載らない”日本人の謎』というのをしていましたね。



初詣には神社とお寺のどちらに行くの?とか、
たけしさんが生まれて初めて伊勢参りに行くとか…。



たけしさんは、伊勢神宮を参拝して人生観が変わったとおっしゃっておられました。
今までの想像とは全然イメージが違って、凄いとおっしゃっておられました。
伊勢神宮では自分のちっぽけなお願いなどどこかへ吹っ飛んでしまって、「宇宙的な」幸せを祈らずにはいられない、みたいなことをおっしゃっておられました。
確かに同感ですよね。



その他、色々なお話結構楽しく見せていただきました。




そのお話の中で初詣は神社かお寺かどちらが正しいの?というのがありました。

正解は、どちらでもいいのだそうですね。
もともと日本は「神仏習合」だから神社とお寺が一緒になっていたらしいのです。
それが、明治になった時に廃仏棄釈とかいろいろあって神社とお寺を分けなければならなくなってしまったのでしたね。



要するに明治の時に制度として神社とお寺を分けたのだけど日本人の心の中ではそれらをきっちり二つに分けることはできないのですね。



つまり初詣は神社でも、お寺でも心をこめて拝みさえすればそれでいい。
形ではなくて心の問題なのですよね。



もともと日本は八百万の神々がいらっしゃる国です。
中国から仏教が伝来した時に蘇我氏と物部氏の戦いはあったものの、時の天皇・欽明大王がどちらも敬おうとおっしゃられて両方大切にする国になったのだそうです。



その後、聖徳太子様も神様も仏様も大切にされました。
十七条憲法にもそのように書かれていますよね。
日本人の心のありようの基となった憲法ではないかと思っています。



ところで、その聖徳太子さまがお生まれになった場所が飛鳥にある『橘寺』だと言われています。



聖徳太子像




先日、橘寺に行ったのですがお堂の中で気になるものを見つけてしまったのです。



実は聖徳太子像の前に神社にあるような立派な鏡があるのです。




ん~、なんか変だなと思いました。
私の中では、お寺には仏像があって神社には仏像がなく鏡がある。
そんな風に分けて考えていたので二つが同時にあることになんか納得できなくてしばらく考え込んでしまったのでした。





本堂




どうしても気になったので、お寺の方に聞いてみました。
すると、「良いところに気がつかれましたね。」と優しく微笑まれ、私の質問に丁寧に答えて下さったのでした。



つまり、もともとは神社とお寺は一つだったのですが明治の廃仏毀釈の時にお寺を取り壊しされそうになったのだそうです。
その時に、お寺を守っていた方が聖徳太子像の前に鏡を置かれて、「ここには仏さんだけではなくて神様もおられるのですよ」とおっしゃられたのだそうです。



その鏡を見て、お寺を取り壊そうとしていたお役人たちも「なるほど」と納得して帰って行かれたのだそうです。



それからは、ずーっと今までここの聖徳太子像の前に神社になるような立派な鏡がおかれたままになっているのだそうです。




お役人さんも本当は、取り壊したくなかったのかも知れませんね。



馬




馬があるのはやはり、聖徳太子が厩戸皇子(うまやどのみこ) と呼ばれていたからでしょうか。




橘寺(たちばなでら)という名の由来は、垂仁天皇の命により不老不死の果物をとりにいった田道間守(たじまもり)が持ち帰った橘の実を植えたことに由来するのだそうです。



橘はみかんの原種なのだそうです。
当時の人はみかんを不老不死の食べ物だと考えたのですね。
私達は、毎年冬になると美味しいみかんを思う存分食べられるのは幸せなことですよね。
確かに、美味しいみかんを食べているとなんだか長生きしそうな気がしますよね。




さて、次回は私の大好きな『飛鳥寺』です。
飛鳥大仏さんにお会いできて幸せな一日でした。










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